江戸城周辺の観光スポット

江戸城を巡る観光地はたくさんありますがまずは、今回は、徳川家の大名庭園「旧芝恩賜庭園」と徳川家の菩提寺の1つ東叡山寛永寺をご紹介いたします。

おすすめ観光スポット①|旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園 池とビル群
旧芝離宮恩賜庭園 池とビル群
旧芝離宮恩賜庭園 枯滝石組
旧芝離宮恩賜庭園 枯滝石組
旧芝離宮恩賜庭園は、江戸幕府の老中大久保忠朝の上屋敷内につくられた、回遊式庭園です。小石川後楽園とともに、現存する最古の大名庭園の一つで、国の「名勝」に指定されています。幕末頃に紀州徳川家の芝御屋敷となり、その後、有栖川宮家の所有となりました。1875年には宮内省が買上げ、翌年に芝離宮となりました。現在は一般公開されています。
回遊式泉水庭園の特徴をよく表した庭園で、特に池を中心とした庭園の区画や数々の名石が用いられた庭造り、石組が非常にすばらしいです。
見どころは、
・蓬莱山を表した中島の石組
・山渓を流れ落ちる枯滝を想像させる石組
・根府川石の飛石が敷かれた山麓
・富士の黒朴石が用いられている泉水の護岸
・中国にある西湖の蘇堤を模した石造り
などです。

江戸城から旧芝離宮恩賜庭園への行き方

江戸城からJR東京駅に出て、JR浜松町駅から徒歩1分ほどです。

おすすめ観光スポット②|浜離宮庭園

浜離宮恩賜庭園
浜離宮恩賜庭園
浜離宮恩賜庭園 御茶屋群(遠景)
浜離宮恩賜庭園 御茶屋群(遠景)
浜離宮恩賜庭園 三百年の松
浜離宮恩賜庭園 三百年の松
浜離宮恩賜庭園は、徳川家の大名庭園です。
非常に広大な庭園なのですべて見るには2時間~3時間ぐらいかかるまもしれません。
元々は徳川家の鴨狩場だった湿地帯を、5代将軍徳川綱吉の兄、徳川綱重が甲府藩の下屋敷とその庭園として造営したのが始まりです。
綱吉に子供がなく、兄綱重の子供の綱豊が綱吉の養嗣子となり6代将軍家宣となったことから、甲府藩は後継が亡くなり幕府直轄領となったことから、徳川家の鴨狩場及び大名庭園として本格的に整備されました。25hという広大な敷地に、山を模した築山や、池を模した回泉があり、池には東京湾の海水が引いてあるため鯉ではなく黒鯛が悠々と泳いでいます。また四季折々の草木とともに鴨の狩猟を行った特別な施設もあり、日本の大名庭園でここにしかない設備となっています。
庭園は石垣で固められ、海を利用した堀で囲まれ、有事の際の軍事施設としての役割も持っていたと考えられます。
庭園の築山に登れば、庭園全体の美しい眺めが見えるとともに取り囲むようにある東京汐留のビル群と、海に浮かぶクルーザーやお台場方面の橋など「江戸」と「東京」が混ざり合った不思議な空間を楽しめます。
浜離宮恩賜庭園 庚申堂鴨場
浜離宮恩賜庭園 庚申堂鴨場
 浜離宮恩賜庭園 水上バス
浜離宮恩賜庭園 水上バス
 浜離宮恩賜庭園 燕の御茶屋(内部)
浜離宮恩賜庭園 燕の御茶屋(内部)

江戸城から浜離宮庭園への行き方

江戸城からJR東京駅に出て、JR新橋駅から徒歩20分あるいはJR浜松町駅からも徒歩20分ほどです。
新橋からタクシーを使うと5分程度到着です。
おすすめは、旧芝離宮恩賜庭園とセットでご覧いただくことです。

おすすめ観光スポット③|増上寺

増上寺 大殿と東京タワー
増上寺 大殿と東京タワー
増上寺 三解脱門
増上寺 三解脱門
増上寺 山門
増上寺 山門
歴代の江戸幕府将軍を祀る徳川家ご霊廟として有名なお寺です。
元々は真言宗のお寺でしたが、1393年(明徳4年)に第八代住職の酉誉聖聡により浄土宗に改宗し、寺の名前も「増上寺」になりました。
増上寺は徳川家(松平家)の菩提寺であった大恩寺や大樹寺とも縁が深く、江戸幕府が江戸の街を中心に開かれることになりより幕府により庇護されることとなりました。「芝大門」という地名や「大門」という駅名はこの増上寺の門前町の地割りや施設名からきています。
ちなみに、徳川将軍家で増上寺にお墓があるのは、
・2代将軍:秀忠
・6代将軍:家宣
・7代将軍:家継
・9代将軍:家重
・12代将軍:家慶
・14代将軍:家茂
の6名です。
増上寺 慈雲閣
増上寺 慈雲閣
増上寺 光摂殿
増上寺 光摂殿
増上寺 黒門
増上寺 黒門

江戸城から増上寺への行き方

江戸城からJR東京駅に出て、JR浜松町駅からも徒歩10分ほどです。
おすすめは、旧芝離宮恩賜庭園とセットでご覧いただくことです。

おすすめ観光スポット④|東叡山寛永寺

寛永寺 根本中堂
寛永寺 根本中堂
寛永寺 清水観音堂と清水の舞台
寛永寺 清水観音堂と清水の舞台
寛永寺 弁天堂
寛永寺 弁天堂
東叡山寛永寺は、現在の上野にある、天台宗の別格大本山のお寺です。1625年に徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するために建てられました。2025年には創建400周年を迎え、長い間歴史の重みを伝えています。
創立者は徳川家光、初代住職は慈眼大師天海大僧正でした。徳川将軍家の先祖代々のお墓があるお寺であり、歴代の徳川将軍15人のうち6人が寛永寺に眠っています。
東叡山主を皇室から迎えたことで、江戸時代には格式と規模において日本随一の大寺院となりました。しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。また、関東大震災や太平洋戦争の被害を受けましたが、新たに霊園を建て、開かれたお寺として一般の檀家を受け入れるなどしています。
ちなみに、徳川将軍家で増上寺にお墓があるのは、
・4代将軍:家綱
・5代将軍:綱吉
・8代将軍:吉宗
・10代将軍:家治
・11代将軍:家斉
・13代将軍:家定
の6名です。
寛永寺 養壽院
寛永寺 養壽院
寛永寺 開山堂
寛永寺 開山堂
寛永寺 大黒堂
寛永寺 大黒堂

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